越後長岡の奥座敷

蓬平温泉の歴史

蓬平温泉のある太田に人々が住み始めたのは南北朝、約600年前からと伝えられている。
太田川沿いに温泉宿が開業したのが明治2年。
温泉質が評判「すべすべ」「ツルツル」美肌の湯として特に女性に人気だった。
当初は長岡市近郊、3軒宿の湯治場として栄えた。
近年は長岡市の奥座敷として多くの市民や首都圏から大勢のお客様が訪れる人気の温泉地となっている。

泉質: 単純硫黄泉/皮膚病、婦人病、きりきず、動脈硬化、高血圧、高血糖など アルカリ性単純温泉

■高龍神社
商売繁盛と家内安全を願い、新潟県内はもとより、全国からの参拝者も多い。 
その歴史は約600年前に遡る。
明徳元年(1390年)、楠正成の御子・正行の弟・正儀朝臣の家臣高野木民部永張が会津へ赴く途中に重傷を負い、激痛のなかで、高龍大神が現われ『瀬戸泉水三渓水合流地点に患部を浸らせよ』と告げられる。
療浴専心しわずか数日で快癒した。以後、この地の村里人達により、神霊の霊地として高龍神社が祭られた。

■竹之高地不動神社
家内安全、交通安全など人生・生活における災厄を不動様が取り除いてくれます。また、その昔刀鍛冶宗近の眼を治したと言われ、眼の病に良いと言われています。
竹之高地不動は無格社で、加具都知の命を祀る神社である。神体は弘法大師が自ら作った。尊像で、創立は1100年余り以前に、弘法大師が建立した神社と言い伝えられている。
境内には歴史を表す、幹の周りが8メートルもある大きな杉もある。


【よもぎひらの伝説】
(蓬平/小高氏作成)

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